”それ”は自分を押し殺してまでやるべきこと?
自分を失くしてまでやる価値のあるもの?
わがままと素直をはき違えてはいけない。
信念があって、それに合わないものを排除していくことと、何もないのにただ嫌だからって理由で排除するのでは、結果の行動は同じでも全く別のこと。
我慢して押し殺して何かをやり続けると、結局誰にでもできることしかできない人間になりそうで怖い。
結果的に無駄なことなんて一つもなくて、点が線で繋がるのなら、我慢も無意味ではない、自分色を消す時が人生の経験としてあってもいいかもしれない。
けれど、文句を言い続けるのなら辞めてしまった方がいい。
押し殺して、今はこれをやるんだ!って心に決めたなら文句は言わない。それくらいの覚悟をしないと、その経験さえただの暇潰しになってしまう気がする。
幸せって、小さな規律の中でしか見つけられないものだと思うから。
野放しで何の制限もなければ、幸せってなかなか見つけにくい。
けれど無意味な規律は、理解に困るね。
頭で理解できても、心で理解できない。
例えば名刺の渡し方とか、尊敬の表し方とか。それはその人を形どる一部ではあるけど全てではない!
もしも尊敬していたら、尊敬語以上に心で、目で、行動で伝わる。
名刺をきちんと渡せる社会人のほとんどが、型通りの仕事しかできないから、これだけ創造性に欠ける社会なの。
確かにそれは必要だけど、全てではない。
自分の仕事のミッションに真摯に向き合い、真剣に取り組む人は、名刺をきちんと渡せたり、敬語を正しく話せなくても、価値ある仕事をしている。
そんな気がする
でも社会人として、それらの常識はとても大切なこと、ってのも忘れてはいけない。
ELIE